こんにちは、Emmaです!
このページにたどり着いてくださり、ありがとうございます^^
普段は"アクアコノサー"という肩書きで、お水についての情報をお届けしているのですが、この「Emmaのたわいない話」ではそういった枠にとらわれず、その時に「これだ!」と思ったことを、好きなよ~うに自由~に書いていきたいと思います。
もう検索されそうなタイトルを狙うでもなく、アクセス数を狙うでもなく、ホントにラフにダラダラと書いちゃうので、一体どれだけの方がこれを読んでくれるのか・・・笑。
そんな感じでここではありのままの私を、そのまま文章にしていこうと思います。
第1回目のテーマは「自由に表現する」ということ。
長い間、自分を表現することが怖かったEmmaの脱皮話です。
よかったら読んでみてくださいね^^
スポンサーリンク
「自由に表現する」は難題?
「自由に表現する」は、私にとってかなりの難題でした。
いつも誰かの顔色を伺ってしまう、人に気を使う、他人の評価が気になる。
何十年とそういう癖がついていた私は、自分を表現したくても怖くてできなかったんです。
「こんなこと言ったら、誰かになんか言われるかな」
「こんなふうにしてみたいけど、バカにされるかも・・・」
と、言ってみたいこと・やってみたいことを思いっきりできない自分がいました。
「出る杭は打たれる」という言葉が常に頭の中にあり、ちょっとやりたいことをやってみるんだけど、周りの反応を見てすぐに変えてしまったり。
とにかく人に嫌われたくない、嫌われないために常にあれこれ考えている。
そんな自分に時に疲れてしまって、楽しく生きているはずなんだけど心が休まらない・・・。
この傾向は、特に社会人になってから以降、強くなったと思います。
最初はアルバイト先で、次に就職先で、そして結婚してから。
時には鬱になってしまうほど他人との関わりが辛くて、過呼吸になることもあれば、一人号泣することもしばしば。
うん、けっこうやばかったね。笑
まさに闇を経験した・・・そんな感じです。
そんな状態で「自由に表現する」ができるわけもなく。
でもね、これも人生の学びだったんだな、と今は思うんです^^
スポンサーリンク
「自由に表現する」のスペシャリストは赤ちゃん
産まれたてってみんな自由だよね。
お腹が空いたら泣いて、眠くなったら泣いて、うんち出たよ~って泣いて。
泣いたかと思ったら急に笑ったり。
赤ちゃんて自由。
そこからだんだんと、いろんなことを覚えて自由が減っていく経験もしていくわけですね。
Emmaも子どもの頃は、だ~いぶ自由でした。
親の目を盗んでは、大人の足でも10分くらいかかる遠い公園まで三輪車で行ったり(3歳頃)、
ふっと家を飛び出しては、近所のおうちに上がりこんでおやつをもらっていたり(5歳頃?)、
みんなで阿蘇山に観光に来ていて、忘れ物をした!と誰にも言わずに一人で戻ったり(10歳頃)。
とにかく「あ!」って思ったら、あっち行こう!とすぐ向かっちゃう。
しかも思いついてそれで頭がいっぱいだから、誰にも言わないんです。やっかい。笑
阿蘇山でそのまま迷子になった時は、大騒ぎでしたよ。
家族も親戚も心配してくれて、父は私が火山口に落ちてないかと穴を覗いたらしいです。笑
本当に、自由奔放な私に、両親はハラハラしっぱなしだったと思います^^;
「あんたはほっとくと何しでかすかわからない」
と母様から名言をいただいておりました。笑
ご苦労をおかけして、すみませんでした♡
でもそうやって怒られながら、怒られる怖さをだんだん知っていきます。
そして学校でも家でもうまくやっていくために、頭を働かせる。
お母さんに嫌われたくなくて、お母さんの顔色を見る・・・とか、けっこうみんなあるんじゃないかな。
少なくとも私はそうでした。
怒られてもお母さんが大好きなんだよね。
しかし、思春期真っ只中に、私にとっての「自由に表現する」の象徴・神様が舞い降りてきます。
スポンサーリンク
「自由に表現する」の象徴、YUKIちゃん
私は今アラフォーですが、同じ世代の方は若い頃にハマった方、多かったのではないでしょうか。
あえてYUKIちゃんと呼ばせていただきますが、本当に素敵ですよね~!!
見た目はかわいいのに、芯が強くてブレない男前。
そして何より、私にとっては「自由に表現する」を体現しているロールモデルでした。
自分を表現することを恐れていない姿が本当にかっこよくて、そこにすっごく惹かれました。
もちろんYUKIちゃんも、迷ったり悩んだりして生きていると思うのだけど、それをもありのままに出している。
本当に素敵♡今でも素敵♡
そんなYUKIちゃんに憧れた私は、「自分を表現する」に挑戦します。
時期もちょうど、自分を天下無敵だと思ってしまうような思春期だったので、思えばあの時は自由に表現できてたのかなぁ。
文化祭のステージでJUDY AND MARYの曲を歌ったりもしたなぁ(懐かし。)
大学生になってからは髪型もより派手になり・・・
身なりに厳しいファミレスのバイト先でも、平気でくるくるパーマで働いてたし↓
その頃の運転免許証。
当時のバイト先の店長、よく許してくれてたもんだ。笑
でもこの辺りからだんだんと闇を知るように・・・。
バイト先のパートのおばちゃんとの折り合いが悪く、コテンパにやられたり。
(↑こんな感じだったからね、仕方ない部分もあるが。笑)
軽い鬱になってしまって、『就職したら自分を抑えて周りと調和していこう』と決めた出来事でもありました。
スポンサーリンク
「自由に表現する」から遠のく日々
人間関係を学んだ私は、就職したら周りに合わせて平和に生きていこう!と決意。
だけど全然うまくいかなかったですね~。
就職してすぐ出会った先輩は超怖くて、毎日怒られる日々。
もちろん、今思えばその時の私は反省点ばかりですが、それでも理不尽な思いもたくさんしました。
また鬱っぽくなって本当に苦しかった。
辛くなるとすぐにこの世を去りたくなってしまう病の私は思い詰めたけど、家族や友人の顔が浮かんでは
「わかったよ、死なないよ!」
と半ば半ギレで?思いとどまりました。笑
心のどこかでそうやって逃げることへの悔しさもあったと思う。
自分に負けたくないというか。
基本、負けず嫌いなんです^^;
これを人生の中で、何度も何度も繰り返して生きてきました。
本当、今生きさせてもらってるのも奇跡だよ。
頑張って生きてきた私、エライ!!
そうやってどんどん自分に自信がなくなっていった私は、当然、自分を信じられないから他人を信じようとします。
人を信じることはいいことなんだけど、そうでなくて「依存」ですね。
だから当然、依存させてくれる結婚相手を選んでしまうわけです。
この辺りはまた機会があれば語ってみようと思いますが、誰かに依存しているうちは自立できない。
自立できなきゃ自分もないし、ましてや自分を「自由に表現する」とは程遠い話。
依存癖はちょっとやそっとじゃ断ち切れなくて、ずっとずっと私を苦しめる要因でした。
スポンサーリンク
今世で地球が最後!と考える
精神的に自立するのは本当に大変。
人生の中で自分に根付いてしまったものは、簡単には取り外せない。
でも取り外さなくていいんです。
「それも自分なんだ」と認めること。
そんな自分を許してあげること。
そういう自分がいけないんだ、とか
だから私はダメなんだ、とか考えない。
そんな自分を受け入れる。
それが大切です。
いいんだよ~!
世界には光と闇があるように、人にも光と闇がある。
それでいいんです。
闇があるから光がわかるんだしね。
つまり、そのままの私でいい。
そのままのあなたでいい。
それに気がついて、一つ一つ自分のことを受け入れていったら、少しずつ成長できたよ。
暗闇は長~く続いて、いつこのトンネルから抜けられるんだろうと泣いた日もあったけど。
でもそれを続けてたら、ふと
「もし今世で地球が最後だったら?」
と思った。
よく「明日死ぬなら今日なにする?」みたいな話もあるけど、1日じゃやりきれないじゃん。笑
(そのマインドは大切ですけどね!)
でももし今世でもう地球が最後だとしたら、地球を精一杯楽しみたいじゃない^^
地球のあちこちを見ておきたいし、
自分を自由に表現して、素敵な人たちと出会ってみたい。
会社の先輩にビビってる場合じゃない。
人の目を気にしている場合じゃなかった!
そう思ったら心がフワッと軽くなって、なんでもできる気がしてきたんだ。
それでやっと、「自由に表現する」をする勇気が湧いてきた。
もちろん恐れはある。
また誰かに何かを言われたらどうしよう・・・。
でも恐れはみんなが持っているもの。
最近好きなYoutuberさんが言ってた。
「勇気を持つ=まったく恐れない」ではない。
「少なめに恐れる」ということ。
そっかぁ!!
例え人から何か言われても、
「ああ、地球でこんなことあったなぁー」
っていうそれだけのことなんだ。
わぁ・・・。
ここまで来るのに41年かかったよ。。長っ!!笑
でもそれが私。
それでいいよ。
なんでも自由に表現していいよ。
お水のサイトに全然関係ない自分の人生観を語ってもいいよ。笑
そう自分に許可して今回、〚Emmaのたわいない話〛を書くことを決めました。
もし同じような悩みを抱えている方がいたら、
「今世で地球が最後だよ!さあ何する?」
って自分に聞いてみてください。
一緒に、そして最高に、地球を楽しみましょう♪
それでは、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
みなさんにたくさんの幸せが降り注ぎますように。
Emma
スポンサーリンク